西安の拓本王 原拓本 造像石碑の拓本

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     ご来訪いただき、誠にありがとうございます。私どもは西安(昔の長安)出身、中国西安金橋国際旅行会社の日本語観光ガイドです。私どもが生まれ育った“悠久の歴史を持つ古都長安”を皆さんにもっと広く深くご紹介するために、このホームページを作成致しました。基本情報をはじめ、さまざまな時代テーマや人物テーマなど、各方面からお客様のニーズに合ったご紹介することを目標にして頑張っております。お客様の要望に沿ったアレンジも致しますので、詳しくはお気軽にお問い合わせ下さい!

今日の登場人物は西安のコレクション家、拓本王です、本人は石碑から拓本を取る経験を十何年間持ちます、未だに中国国内のあちこちへ行って、原拓 本 を取ることを続けています。本人がおびただしい原拓本を収蔵していることで、多くの日本友人に知られているそうです。そして、まだ、幾人の日本の友人に原拓 本をつくるのを教えています。今日から、彼が十何年前から収蔵していた原拓本の一部分を少しずつお公開いたします。

本人とのお付き合いはxiaojunn@gmail.comまで御連絡下さい。

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拓本

初公開 スライドショー

西安拓本王さんの写真集

友情リング(西安碑林博物館の所蔵品) 西安拓本王が十何年間の間に集めた一部分原拓本の写真

〜初公開〜

新出土「欧陽詢 姚弁墓誌」         文/大野 修作(『墨』より)

はじめに
 

先日 知人から欧陽詢の新出土の「姚弁墓誌」を示されて、解題を書くよう依頼されましたが—見して正直なところ、驚きました。この「姚弁墓誌」というのは、すでに世に知られた拓本が存在します。それは京大の人文科学研究所が蔵するもので、「京大人文研究所蔵拓本資料集」として、アーカイプ化されており、パソコンでダウンロードして見ることは可能です。しかし今回出土したものは―拓本のコピーしか見ていませんが−原刻その物と思われるような全くの別物です。普通、同一の人物で、撰文者が同じでしかも書丹者まで同じであれば、墓誌が二種類あることは考えられませんので、どちらかは模刻、または偽造されたものであろうということになります。ただ今回の出土の情況や人手の経路は詳しくはしらされていませんし、文物の流通に関しては分からないとしか書けないことをお断りしておきます。従って本稿では示された拓本から、現在言えることを限りなく正確に述べることを主眼にしたいと思います。これは書道史の把握にとって有益で刺激的な資料と考えたからです。

● 墓誌の全体像
 

  まず墓誌の大きさですが、新出本は幅が五八センチ、縦が四〇センチで、上部が半分以上欠けています。元来の姿を復元して考えて見ますと、新出本は「相泓為晋所滅…」と始まりますが通行本はその前に「公姓姚偉弁字思弁…」の三十字分がありますので、元来は一行五四字で、二四行分のスペース(空格を含めて一二九六字分)が取られた縦長の墓誌であったと考えられます。幅は五十八センチで隋の二尺に相当し、高さは少なくとも九十六センチであったと推定されます。当時の標準的な墓誌が一尺五寸四方の正方形であったことを考えますと、縦長の大き目の立派な墓誌であったことを考えますといえます。縦長の墓誌は類例も多く、それほど特殊なものでもありませんが、石の形状は不鮮明な写真で見る限り、やや摩滅もあり、拓のシャープさにそぐわない気もします。

  しかし通行本は、一行三三字、二〇行分の枠が方眼で仕切られ、空格を含めて六六〇字分のスペースしかありません。元来の物と考えられる墓誌の半分でしかないことが不思議です。一行目に「隋故左屯偉大将軍左光禄大夫姚恭公墓誌銘並序」の二二字が刻まれ、二行目に頭一字下げて「内史侍虞世基撰文」、そこから六字下げたところに「太常博士欧陽詢書丹」と刻まれています。最後の二〇行目は「十九年授環州道行軍総管公屢総戎」と文章が途中のままで不自然に終わっています。この最後は新出本ので、通行本は約本分しか刻まれていないということになるかと思います。

  以上を図示しますと127ページの解題のようになります。(青字と一二行目の 』 印までが通行本で知られる文字。124は行数を示す。画像が不鮮明で判読に苦しむものは□で空格とした)。要するにこに図示されたものの、下の赤字部分が今回出土の墓誌です。

「姚弁」について
 

  次に墓誌の内容ですが、通行本は画像が不鮮明で、空格の字が多くなってしまいましたが、幸いなkとに、この墓誌は有名なものであったために、全文(といっても途中いくつか空格がある)が明代の都穆『金薤琳瑯』という金石書に載っています。これによりほぼ全文の復元が可能ですが、同書の按語に、文意が通じせず当時の通行本も寄せ集め的なものに過ぎないとあり、明代にすでに原石は無く、拓の文意も通じにくくなっていましたので、今回の新出本は貴重な資料と考えられます。これをもとに考えて行きますと、墓誌の主人公である姚弁は、列伝は立てられていないまでも正史にその名が見えます。『隋書』巻三の煬帝上に「(大業七年)三月丁亥、右光禄大夫・左屯偉大将軍姚弁卒」とあるのがそれで、通行本が「左光禄大夫」と記すのは誤りで、新出本の二〇行目の「右光禄大夫」の方が正しいということが分かります。先祖を遡って、一行目の「祖泓は晋の滅ぼす所と為り、子孫播越して武威に居り」と記すのは、姚弁の五世の祖は姚泓であることが、通行本に「五世姚泓」とあることで知られます。そして十六国時代にキョウ族出身の姚萇が興した后秦が東晋の劉祐に攻められ、在位二年目の姚泓が晋に下り、建康で斬られて滅びた史実を記したものでしょう。子孫が涼州の武威に逃亡して系統をを保ったとありますが、新出本の一行目下の方から通行本二行目にかけて、「曽祖讃は撫軍左軍将軍、武威太守たり。碩量偉才を以て時を佐け…」とあるので、曽祖の姚讃が武威の太守として一族の長であったことが分かります。父の姚竇も散騎常侍にまで至った人であり、新出本の三行目下の方に「弓は百歩の奇を殫り、剣は万人の気に適して名を馳す」とあるので、武力を以てのし上がった人物であったことが察せられます。

   姚弁自身は北周の保定四年(五六四)に起家し、天和二年(五六七)に江南遠征に従軍して戦功挙げ、おそらく建徳五年(通行本では保定と作るが、金薤本では空格で、ただ五年と作る)の晋州遠征、同六年(五七七)の定州遠征に従って北斉を滅ぼすのに功があり、大都督、安陽県開国子、食邑四〇〇戸、検校武侯兵事を授けられ、戦功により順調に栄達しました。五八〇年に北周が尉遅迥を滅ぼした武陟の合戦で大功をあげ、翌年の隋の開皇元年(五八一)には開府儀同三司に列せられ、公爵と食有一〇〇〇戸を授与されています。以後、出身地の武威を守り、突厥の侵攻をよく防ぎました。開皇三年に突厥は涼州に侵入しますが、姚弁は行軍督尉として突厥を前後に挟み撃ちし、昼夜攻囲して戦功を立て、開皇五年(五八五)に左武衛を授けられます。新出本九行目では「驃騎将軍霍去病の功も滅如たり」と、霍去病以上の戦いぶりであったといいます。開皇六年には雲州道水軍総管を授けれれ、同年、使持節に補わせれら、開皇一〇年には険功畳州総管・河州刺史となりました。開皇十二年(五九二)には左武侯将軍・涼州総管・涼州牧、開皇十六年には使節雲州総管諸軍事、開皇十八年には原州道行軍総管、開皇十九年には環州道行軍総管と、各地転任しました。『隋書』巻二高祖紀に、「開皇十六年五月丁已……蔡陽県公姚弁を霊州総管と為す」とあるのは、通行本に依れば「雲州総管」の誤りであるといえますが、金薤本では「霊州総管」に作っており、新出本にこの部分がないために、どちらが正しいかは即断は出来ません。金薤本が『隋書』を見て書き直した可能性があるからです。通行本に見えるのはここまでで、その後は、新出本と金薤本で復元しかありませんが、新出本は可半分しかありませんし、銘の部分があったりしますので、伝記事項は多く書かれていません。

   姚弁は更に仁寿年間に蔡陽郡開国公と爵を進め、食邑は一五〇〇戸に増えました。『隋書』巻二高祖紀に「仁寿三年二月戍子、以大将軍・蔡陽郡公姚弁為左武侯大将軍」とあるのが、それでしょう。煬帝の大業年間に改めて左武侯大将軍を授けられますが、大業三年、母の死を以て官を去りました。しかし同年四月よりの煬帝の北地巡行に従い、さらに煬帝の江都巡幸に際しては京師の留守を任されています。そして『隋書』に依れば、「大業七年三月丁亥」に右光禄大夫・左屯衛大将軍の地位を以て姚弁は世を去りました。新出本に「癸丑朔二十一日葬」とあり、同年一〇月二一日に葬儀が行われました。葬儀に際しては、朝廷より故姚弁に対し、金薤本では「賜物八百段、粟麦一千石、諡曰恭公」とあることから、反物八〇〇反と粟麦一〇〇〇石が贈られました。粟麦一〇〇〇石は重臣の扱いであると言われますので、開国の勲臣として人生を全うしたことがうかがえます。

撰文者・虞世基と、書丹者・欧陽詢
  以上が墓誌の主人公の姚弁の経歴のあらましですが、以下それを撰文した虞世基と、それを書丹した欧陽詢について見て行きたいと思います。虞世基(?〜六   一八)は會稽余姚(逝江省)の人で、虞世南の兄でもあります。父の虞茘は文人でありましたが、文弱に流れた貴族ではありませんでした。厳格ながらも睦まじい虞家のなかで、世基、世南兄弟は育ち、当時最高の学者である顧野王について学問を学びました。その令名は陸機・陸雲兄弟に比せられるほどで、世南は書を智永に学び、兄の世基は政治家としても文書家としても名高い徐陵の知遇をえて、彼の弟の女を妻とした。彼が仕えた煬帝は暴虐な君主のイメージが強いのですが、その感性は鋭敏で、若い頃より江南の文化とそれをはぐくんだ風土に傾倒しました。煬帝が虞世基のような人物に引き付けられるのは、ある意味当然で、江南文化を代表する知性と教養を身につけた虞世基に惚れ込みました。虞世基は一四年間、碑文にある「内史侍郎」の職にとどまり、煬帝の圧倒的な信任を受け続けました。そのことにより煬帝暴虐に関わったとして、隋末に反乱を起こした宇文化及びに殺害されますが、この墓誌が書かれた大業七年ころは、栄華の絶頂期にいました。
そして
 

欧陽詢(五五七〜六四一)ですが、潭州臨江(湖南省)の人。隋の煬帝に仕えて太常博士となり、唐の高祖と親交があったために拔櫂されて給事中となり、太祖が即位すると弘文館学士となり活躍することは周知のことです。この墓誌は彼が「太常博士」として煬帝に仕えた隋代のもので、書道史的に見ても貴重なものと考えられます。欧陽詢の楷書の碑としては、温彦博碑、化度寺邕禅師塔銘、九成宮醴泉銘、温彦博碑の四碑が著名なものとして知られますが、いずれも唐に入った貞観五、六年から一一年に書かれたと見られます。皇甫誕碑も貞観の末頃と考えられ、欧陽詢の七〇代後半から八〇にかけての最晩年の書しか、著名な楷書の碑としては知られていません。

   しかしこの墓誌は大業七年の書で、欧陽詢五五才のまさに壮年期のものといえ、碑文全体に力感が漲っています。化度寺は「淵穆」、醴泉は「華貴」、温彦博は「竣潔」、温彦博は「森秀」と評されますが、この墓誌には若さと力が感じられるといって良いでしょう。また逆にあまりにシャープ過ぎて、単調であるようにも感じられます。例えば「武」の字は三度碑文に見えますが、どれも同じ調子で、「九成宮」の「武」には表情があるのとやや異なります。また想像をたくましくすれば、「蘇慈墓誌銘」とよばれる隋代を代表する墓誌がありますが、この墓誌と筆致が極めて近いことがうかがえます。梁啓超などはそれを欧陽詢の若書きの書という説を立てていますが、この墓誌を見るというなずける点もあります。

   『隋書』巻二には姚弁と蘇慈は一緒に出てきますので、欧陽詢を含めた三者は同じ親しい交遊圏の人であったと推察されます。

●   まとめ
  最後通行本と新出本の関係と刻者について見て行きたいと思います。通行本は金薤本に収める全文の本分で、文章の途中で終わっていますので、おそらく「姚弁墓誌」を石の両面に模刻したものの前半の片面であったと推察され、後半は散逸したと考えられます。今回出土したものはおそらく原石の下半分と思われますが、ただ拓本が原石からの拓本であるかどうかは即断はできかねます。はじめにも触れたと、石がやや摩滅しているように感じられ、新出本は、あまりにシャープなので補刻されているのではないかという思いも捨てきれないからです。刻者の萬文韶は褚遂良の雁塔聖教序を刻した人としても知られ、おそらく当時とすれば最高の刻者でしょう。しかし詳しい伝記は分かりません。ともかく新出土本の姚弁墓誌は虞世基の撰文、欧陽詢の書、萬文韶の刻という三拍揃った極めて貴重な資料といえるでありましょう。

拓本(大文字は西安拓本王が持ちます拓本

商周時代】 【秦時代】 【漢時代】 【三国時代(魏呉蜀) 【南北朝時代】 【隋時代】
【唐時代】 【五代十国時代】 【南宋北宋遼金時代】 【元時代】 【明時代】 【清時代】

商周時代】

1大豊□、2大克鼎、3大盂鼎、4小臣◯犀尊銘、5小克鼎、6小盂鼎、7毛公鼎、8韋貞受年甲、9無◯貞、10比干墓銅盤銘、11左仆◯◯、12、石鼓文、13斉侯◯銘、14斉侯罍、15斉陳曼◯、16安邑布幣、17利◯、18◯◯碑、19詛楚文、20何尊銘、21呉季子子逞剣、22即墨刀、23季札墓字、24禹碑、25宜侯矢◯、26◯鼎銘、27追敦銘、28昜文□◯、29郢爰、30頌鼎、31秦公◯、32宰豊骨、33楚公鐘、34◯碣、35鄂君啓銅節、36散氏盤、37新◯虎符、38盟誓、39◯季子白盤、40壇山刻石

【秦時代】

1会稽刻石、2芝罘刻石、3◯山碑、4封泰山碑、5泰山刻石、6睡虎地秦簡、7秦詔版、8瑯琊台刻石

嶧山刻石(李斯)

【漢時代】

1乙瑛碑、2三公山碑、3嵩山三闕、4三老諱字忌日刻石、5、大吉買山地記、6上谷府卿墳壇刻石、7子游残碑、8尹宙碑、9太室石闕銘、10少室石闕銘、11開通褒斜道石刻、12王稚子闕、13孔褒碑、14孔君墓碣、15孔謙墓碣、16孔宙碑、17孔彪碑、18馮煥闕銘、19史晨碑、20石経、21石門頌、22白石神君碑、23西狭頌、24華山廟碑(重刻)、25劉熊碑、26劉寛碑、27劉梁残碑、28劉平国碑、29竹葉碑、30会仙友題字、31朱君長題字、32朱亀碑、33沙南侯獲碑、34李禹表、35李孟初碑、36張景碑、37張寿残碑、38張遷碑、39武栄碑、40部梁祠刻碑、41武氏石闕銘、42武斑碑、43楊淮表記、44楊震碑、45楊淑恭残碑、46鄭固碑、47鄭李宣碑、48居攝墳壇刻石、49孟◯残碑、50◯閣頌、51婁寿碑、52封龍山碑、53祝其卿墳壇刻石、54趙◯残碑、55趙寛碑、56高頤闕、57莱子侯刻石、58郭林宗碑、59馬王堆帛書、60袁安碑、61校官碑、62潘乾碑、63夏承碑、64耿碑、65桐柏淮源廟碑、66曹全碑、67都官是吾碑、68戚伯著碑、69朝侯小子残石、70韓仁銘、71景君銘、72魯峻碑、73◯敏碑、74裴岑紀功碑、75群臣上◯刻石、76◯孝禹刻石、77魯孝王◯池刻石、78樊敏碑、79熹平石経残碑(蔡邕)、80鮮于◯碑、81魏元丕碑、82居延漢簡、83仙人唐公房

【三国時代(魏呉蜀)

1力命表、2三体石経残碑、3三段碑、4上尊号碑、5大饗碑、6勧進表、7孔羨碑、8点発神讖碑、9天璽紀功碑、10王基碑、11正始石経、12谷朗碑、13受禅表、14范式碑、15賀捷表、16宣示表、17急就章、18薦季直表、19調元表、20黄初残碑、21曹真碑、22禅国山碑、23◯碑、24葛府君碑、25墓田丙舎帖、26鍾遥四表

【東晋西晋時代】

1二儀日月千文巻(王羲之)、2二謝帖(王羲之)、3十七帖(王羲之)、4上虞帖(王羲之)、5万歳通天帖(王羲之)、6孔侍中帖(王羲之)、7王略帖(王羲之)、8昇平帖(王羲之)、9東方朔画贊(王羲之)、10楽毅論(王羲之)、11此事帖(王羲之)、12行穰帖(王羲之)、13快雪時晴帖(王羲之)、14佛遺教経(王羲之)、15告誓文(王羲之)、16遠宦帖(王羲之)、17喪乱帖(王羲之)、18奉桔帖(王羲之)、19官奴帖(王羲之)、20姨母初月二帖(王羲之)、21思想帖(王羲之)、22咸陽香帖(王羲之)、23袁生帖(王羲之)、24換鵞帖(王羲之)、25曹娥碑(王羲之)、26黄庭経(王羲之)、27游目帖(王羲之)、28得示帖(王羲之)、29寒切帖(王羲之)、30頻有哀禍帖(王羲之)、31瞻近龍保二帖(王羲之)、32蘭亭序(王羲之)、33蘭亭宴集序(王羲之)、34◯帖(王羲之)、35◯序(王羲之)、36馮承素臨蘭亭序(王羲之)、37神龍蘭亭(王羲之)、38虞世南臨蘭亭序(王羲之)、39天歴蘭亭(王羲之)、40◯臨蘭亭(王羲之)、41梁藏本蘭亭(王羲之)、42黄絹蘭亭(王羲之)、43唐写蘭亭序(王羲之)、44雍睦堂蘭亭(王羲之)、45定武蘭亭(王羲之)、46定本(王羲之)、47開皇蘭亭(王羲之)、48玉枕蘭亭(王羲之)、49潁上蘭亭(王羲之)、50八柱蘭亭(王羲之)、51蘭草帖(王獻之)、52東山帖(王獻之)、53地黄湯帖(王獻之)、54送梨帖(王獻之)、55保母磚志(王獻之)、56十二月帖(王獻之)、57中秋帖(王獻之)、58鴨頭丸帖(王獻之)、59玉版十三行(王獻之)、60洛神賦十三行(王獻之)、61広武将軍□産碑、62鄭太尉祠碑、63王丹虎志、64王興之夫婦墓誌、65月儀帖、66太公呂望表、67平復帖(陸機)、68出師頌、69任城孫夫人碑、70張鎮墓碑、71伯遠帖(王)、72郛休碑、73◯陽府君神道闕、74謝鯤墓誌、75爨宝子碑、76菅氏夫人墓碑、77、司馬芳残碑、78菅夫人墓碑、79太尉碑

【南北朝時代】

1◯遵志、2二爨碑、3馬鳴寺碑、4大定国寺碑、5大代華岳碑、6元診志、7元倪志、8元暉志、9元顕儁志、10王偃志、11天監井欄、12中岳嵩陽寺碑銘、13水牛山文殊般若経碑、14石門銘、15司馬景和妻墓誌銘、16龍門二十品(清代重刻)、17王元燮為亡祖亡考亡妣造像記、18丘法生為孝文皇帝并北海王母子造像記、19孫秋生造像記、20張元祖造像記、21楊大眼造像記、22鄭長猷造像記、23始平公造像記、24解伯達造像記、25魏霊藏造像記、26劉懐民墓誌、27劉悦墓誌、28劉懿墓誌銘、29宇文長碑、30西門豹祠堂碑、31好大王碑、32華山神廟碑、33吊比干碑、34呂超墓誌、35呂望碑、36報徳像碑、37豆盧恩碑、38李憲墓誌、39李興造像記、40李雲墓誌、41李雲妻鄭氏墓誌、42李墓誌、43李洪演造像記、44李挺墓誌、45李璧墓誌、46李超墓誌、47李仲◯碑、48張黒女誌、49張猛龍碑、50范粹墓誌、51房悦墓誌、52鄭述祖夫子廟碑、53鄭道忠墓誌、54始興忠武王碑、55胡昭儀墓誌、56侯剛墓誌、57皇甫墓誌銘、58姜纂造像碑、59賀屯植墓誌、60臨淮王像碑、61泰山金剛経、62◯修羅碑、63賈思伯碑、64高翻碑、65高盛碑、66高慶碑、67高道悦墓誌、68高植墓誌、69高貞碑、70高湛誌、71梁太祖神道闕、72曹望禧等造像記、73蕭敷及王氏墓誌銘、74蕭宏神道闕、75蕭秀碑、76蕭憺碑、77崔◯墓誌、78崔昂前妻盧修娥墓誌、79崔敬◯墓誌、80等慈寺残塔銘、81敬使君碑、82雷轟石、83嵩高霊廟碑、84◯陽鄭氏碑、85大基山詩刻、86大基山石人題字、87雲居館山門題刻、88天柱山銘、89天柱山東湛石室銘、90観海童詩、91鄭文公碑、92重登雲峰山記、93◯鶴銘、94凝善寺三級浮図碑額、95鞠彦雲墓誌、96爨龍顔碑、97暉福寺碑、98建崇寺造像碑

【隋時代】

1元公墓誌、2龍藏寺碑、3龍山公墓誌、4寧◯碑、5劉猛進碑、6鞏賓墓誌、7啓法寺碑、8蘇孝慈墓誌、9張通妻陶貴墓碑、10陳叔毅修孔子廟碑、11陳茂碑、12◯詢禅師碑、13孟顕達碑、14青州舎利塔銘、15賀若誼碑、16姚辨墓誌、17段威墓誌、18徐智辣碑、19姫威墓誌、20高潭墓誌、21尉富娘墓誌、22淳于倹墓誌、23常丑奴墓誌、24曹子建廟碑、25姫夫人墓誌、26崔昂妻鄭仲華墓誌、27董美人墓誌、28智永帰田賦、29智永真草千字文、30蔡夫人張貴男墓誌、31宇文述墓誌(新出土)、32孟顯達碑

【唐時代】

1崔敦礼碑(于立政)、2李宝臣碑(王士則)、3聖教序(王行満、4李靖碑(王知敬)、5金剛経碑(王知敬)、6王征君臨終口授銘(王紹宗)、7王仁求碑(王善宝)、8孔穎達碑、9開成石経、10潘師尊碣(司馬承禎)、11集王書清◯智慧観身経銘(田名徳)、12乙速孤行儼碑(白義◯)、13楞厳経册(白居易)、14鄭太子廟碑、15蘇◯碑(盧藏用)、16大智禅師碑、17蘭陵公主碑、18述聖頌(呂尚)、19書譜(孫過庭)、20景福殿賦、21道安禅師碑(宋◯)、22贈泰師魯国孔宣公碑(孫師范)、23平百済国碑(権懐素)、24上陽台帖(李白)、25順陵残碑(李旦)、26景龍観鐘銘(李旦)、27晋祠銘(李世民)、28温泉銘(李世民)、29少林寺柏谷塢荘碑(李世民)、30屏風帖(李世民)、31万年宮銘(李治)、32李勣碑(李治)、33述聖記(李顕)、34縉雲県城隍廟記(李陽冰)、35怡亭銘(李陽冰)、36三墳記(李陽冰)、37李氏栖先塋記(李陽冰)、38◯賁徳政頌(李陽冰)、39般若台記(李陽冰)、40謙卦(李陽冰)、41黄帝祠額(李陽冰)、42听松二大字(李陽冰)、43天清墜寧四字(李陽冰)、44紀泰山銘(李隆基=玄宗)、45石台孝経(李隆基=玄宗)、46鶺鴒頌巻(李隆基=玄宗)、47少林寺戒壇銘(李邕)、48葉有道碑(李邕)、49丁丁碑(李邕)、50葉国重碑(李邕)、51追魂碑(李邕)、52雲麾将軍碑(李邕)、53李思訓碑(李邕)、54娑羅樹碑(李邕)、55端州石室記(李邕)、56馬蹄碑(李邕)、57麓山寺碑(李邕)、58岳麓寺碑(李邕)、59東林寺碑記(李邕)、60法華寺碑(李邕)、61李秀碑(李邕)、62盧正道碑(李邕)、63霊岩寺碑頌(李邕)、64任令則碑(李邕)、65崇仁寺◯羅尼神咒経幢(張少悌)、66李光弼碑(張少悌)、67興福寺残碑大雅集王書、68李含光碑(張从申)、69修呉季子廟碑(張从申)、70郎官石柱記(張旭)、71肚痛帖(張旭)、72古詩四帖(張旭)、73修孔子廟碑(張廷珪)、74青城山常道観敕(李隆基=玄宗)、75楚金禅師碑(呉通微)、76張好好詩(杜牧)、77柳州羅池廟碑(沈伝師)、78梦真容敕(蘇霊芝)、79憫忠寺宝塔頌(蘇霊芝)、80宗聖観記(欧陽詢)、81房彦謙碑(欧陽詢)、82化度寺碑(欧陽詢)、83九成宮禮泉銘(欧陽詢、84温彦博碑(欧陽詢)、85虞恭公碑(欧陽詢)、86皇甫誕碑(欧陽詢)、87薦福寺碑(欧陽詢)、88史事碑(欧陽詢)、89張翰帖(欧陽詢)、90季鷹帖(欧陽詢)、91卜商帖(欧陽詢)、92梦奠帖(欧陽詢)、93行書千文(欧陽詢)、94草書千字文(欧陽詢)、95道因法師碑(欧陽通、96泉男生墓誌(欧陽通)、97泉男産墓誌(欧陽通)、98北岳府君碑(陳懐志)、99辱問碑(林藻)、100昇仙太子碑(武◯)、101石壁寺鉄弥勒像頌(房高氏)、102善見律巻(国詮)、103文賦(陸柬之)、104蘭亭詩(陸柬之)、105蘭亭詩(柳公権)、106諸葛武侯祠堂碑(柳公権)、107金剛経(柳公権)、108李晟碑(柳公権)、109馮宿碑(柳公権)、110迴元観(柳公権)、111玄秘塔碑(柳公権)、112神策軍碑(柳公権)、113劉◯碑(柳公権)、114高元裕碑(柳公権)、115復東林寺碑(柳公権)、116魏公先廟記(柳公権)、117蒙詔帖(柳公権)、118高土廉碑(趙模)、119姜遐碑(姜晞)、120草書心経刻石(鄭万鈞)、121昭仁寺碑、122集王書金剛経序(唐玄序)、123裴鏡民碑(殷令名)、124契芯明碑(殷元祚)、125杜君綽碑(高正臣)、126明微君碑(高正臣)、127李孝同碑(諸葛思)、128御史台精舎碑(梁昇卿)、129姚懿碑(徐◯之)、130姚彝神道碑(徐◯之)、131嵩陽観記(徐浩)、132大証禅師碑(徐浩)、133不空和尚碑(徐浩、134張九成碑(徐浩)、135朱巨川告身(徐浩)、136徐浩碑(徐浩)、137集王書永仙観碑(蕭森)、138沁州刺史馮公碑(郭謙光)、139等慈寺碑(韓擇木)、140告華岳文(褚遂良)、141孟法師碑(褚遂良)、142伊闕佛龕(褚遂良)、143三龕記(褚遂良)、144太宗哀册文(褚遂良)、145房玄齢碑(褚遂良、146房梁公碑(褚遂良)、147雁塔聖教序(褚遂良)、148同州聖教序(褚遂良)、149枯樹賦(褚遂良)、150倪寛贊(褚遂良)、151王居士磚塔碑(敬客)152封祀壇碑(薛曜)、153夏日游石淙序(薛曜)、154秋日宴石淙序(薛曜)、155杳冥君銘(薛稷)、156信行禅師碑(薛稷)、157王義之聖教序(懐仁集字、158呉文碑(大雅)、159興福寺半截碑(大雅)159−1興福帖(大雅)、159−2隆闡法師碑(懐)、160苦笋帖(懐素)、161自叙帖(懐素)、162論書帖(懐素)、163食魚帖(懐素)、164千金帖(懐素)、165小草千字文(懐素)、166大草千字文(懐素)、167東陵聖母帖(懐素)、168懐素帖并題跋贈歌碑(懐素)、169草書千字文(高閑)、170乙速孤神慶碑(行満)、171乙速孤昭祐碑(行満)、172孔子廟堂碑(虞世南)、173汝南公主墓誌銘稿(虞世南)、174破邪論序(虞世南)、175景昭法師序碑(竇◯)、176圭峰碑(裴休)、177定慧禅師碑(裴休)、178少林寺碑(裴◯)、179華岳題名(裴◯)、180碧落碑、181多宝塔碑(顔真卿)、182東方朔画讃碑(顔真卿)、183祭侄文稿(顔真卿)、184謁金天王祠題記(顔真卿)、185鮮于氏離堆記(顔真卿)、186郭家廟記(顔真卿)、187争座位帖(顔真卿、188与郭仆射書(顔真卿)、189祖関二大字(顔真卿)、190夫子廟碑(顔真卿)、191題逍遙楼(顔真卿)、192麻姑仙壇記(顔真卿)、193大唐中興頌(顔真卿)、194宋碑(顔真卿)、195宋広平碑(顔真卿)、196八関◯記(顔真卿)、197元結碑(顔真卿)、198竹山堂聯句(顔真卿)、199干禄字書(顔真卿)、200李元靖碑(顔真卿)、201謹礼碑(顔真卿)、202殷府君夫人碑(顔真卿)、203自書告身(顔真卿)、204顔家廟碑(顔真卿)、203奉使帖(顔真卿)、204与蔡明遠帖(顔真卿)、205劉中使帖(顔真卿)、206蚕筐帖(顔真卿)、207瀛州帖(顔真卿)、208送裴将軍詩帖(顔真卿)、209送劉太冲序(顔真卿)、210湖州帖(顔真卿)、211江外帖(顔真卿)、212◯履温碑(蔡有隣)、213周尉遅◯廟碑(蔡有隣)、214章仇元素碑(蔡有隣)、215樊興詩、216北岳恒山安天王銘(戴千齢)、217善才寺碑(魏栖梧)、218□◯銘(袁滋)、219◯尊銘、220三吾銘、221◯題銘、222溪銘、223魯公三稿(顔真卿)、224姚弁墓誌(欧陽訽初公開225大秦景教流行中国碑、226、興教寺塔銘、227井真成228地平天成、229美原神泉詩碑(尹元凱)、230法婉禅師碑(劉欽旦)

【五代十国時代】

1比事帖(李)、2江行初雪図題簽(李)、3照夜白図題簽(李)、4大仙帖(楊凝式)、5盧鴻草堂十志図跋(楊凝式)、6韭花帖(楊凝式)、7神仙起居法(楊凝式)、8夏熱帖(楊凝式)、9新歩虚詞(楊凝式)、10重修法門寺塔廟記(王仁恭)、11鱗次台題字、12大明寺残碑、13郭進屏盗碑(孫崇望)、14景范碑(孫崇望)、15虎邱◯羅尼経幢

【南宋北宋遼金時代】

1土母帖(李建中)、2同年帖(李建中)、3跋自序帖(李建中)、4貴宅帖(李建中)、5虚堂帖、6自書雑詩巻(林逋)、7十一月帖(蔡襄)、8大研帖(蔡襄)、9万安橋記(蔡襄)、10洛陽橋記(蔡襄)、11百衲碑(蔡襄)、12劉奕墓碣(蔡襄)、13杜君帖(蔡襄)、14思咏帖(蔡襄)、15持書帖(蔡襄)、16昼錦堂記(蔡襄)、17陶生帖(蔡襄)、18脚気帖(蔡襄)、19離都帖(蔡襄)、20謝郎春初帖(蔡襄)、21暑熱帖(蔡襄)、22韓魏公祠堂記(蔡襄)、23謝賜御書詩(蔡襄)、24八帖册(蔡襄)、25澄心堂紙帖(蔡襄)、26一夜帖(蘇軾)、27久上人帖(蘇軾)、28子由梦中詩帖(蘇軾)、29与子厚書(蘇軾)、30豊楽亭書(蘇軾)、31天際烏雲帖(蘇軾)、32書和靖林処士詩後(蘇軾)、33与梦得書(蘇軾)、34東武帖(蘇軾)、35司馬温公碑(蘇軾)、36講堂帖(蘇軾)、37次韻辨才詩帖(蘇軾)、38赤壁賦(蘇軾)、39跋挑耳図(蘇軾)、40李太白二詩巻(蘇軾)、41表忠観碑(蘇軾)、42知県朝奉帖(蘇軾)、43復盆子帖(蘇軾)、44◯子丹碑(蘇軾)、45答謝民師論文帖(蘇軾)、46洞庭春色中山松醪兩賦合巻(蘇軾)、47宸奎閣碑(蘇軾)、48董侯帖(蘇軾)、49寒食詩帖(蘇軾)、50祭黄几道文(蘇軾)、51新歳展慶人来得書合巻(蘇軾)、52榿木詩帖(蘇軾)、53醉翁亭記(蘇軾)、54跋挑耳図(蘇轍)、55跋懐素自序帖(蘇轍)、56跋懐素自序帖(蘇遅)、57両跋食魚帖(呉)、58天聖帖(司馬光)、59会稽帖(章惇)、60跋挑耳図(王◯)、61所苦帖(陳遼)、62跋懐素自序帖(趙令疇)、63賜茶帖(趙令疇)、64楞厳経旨要巻(王安石)、65集古録跋(欧陽修)、66跋景福殿賦(曽肇)、67七佛偈(黄庭堅)、68七祖山題詩(黄庭堅)、69与晁無咎書(黄庭堅)、70与公蘊書(黄庭堅)、71与雲夫七弟書(黄庭堅)、72与景道簡并八詩帖(黄庭堅)、73公言帖(黄庭堅)、74天民知命帖(黄庭堅)、75王長者史詩老墓誌稿(黄庭堅)、76華厳疏(黄庭堅)、77発愿文(黄庭堅)、78劉禹錫竹枝詞(黄庭堅)、79狄梁公碑(黄庭堅)、80花気詩帖(黄庭堅)、81杜甫寄賀蘭銛詩(黄庭堅)、82李白憶旧游詩(黄庭堅)、83伯夷叔斉墓誌(黄庭堅)、84明叔帖(黄庭堅)、85苦笋賦帖(黄庭堅)、86経伏波神祠詩(黄庭堅)、87青原山詩刻(黄庭堅)、88明◯詩後題(黄庭堅)、89注李公麟五馬図并跋(黄庭堅)、90松風閣詩(黄庭堅)、91送四十九◯詩(黄庭堅)、92諸上座帖(黄庭堅)、93恵糟帖(黄庭堅)、94廉頗藺相如伝(黄庭堅)、95題琴師元公此君軒詩(黄庭堅)、96題顔書中興頌後(黄庭堅)、97三呉詩帖(米FEI)、98与景文書帖(米FEI)、99与希声書并竹前槐後詩帖(米FEI)、100元日帖(米、草冠市)、101天馬帖(米、草冠市)、102方圓庵記(米、草冠市)、103中秋登海岱楼二詩帖(米、草冠市)、104三帖巻(米、草冠市)、105草書九帖(米、草冠市)、106論草書帖(米、草冠市)、107多景楼詩帖(米、草冠市)、108跋陳◯◯本蘭亭(米、草冠市)、109李太師帖(米、草冠市)、110張権帖(米、草冠市)、111張季明帖(米、草冠市)、112伯充台坐帖(米、草冠市)、113歩輦図題名(米草冠市)、114吾友帖(米草冠市)、115陳攬帖(米草冠市)、116兩三日帖(米草冠市)、117叔晦帖(米草冠市)、118知府帖(米草冠市)、119◯溪詩(米草冠市)、120詩跋◯◯蘭亭(米草冠市)、121春和帖(米草冠市)、122珊瑚帖(米草冠市)、123復官帖(米草冠市)、124彦和帖(米草冠市)、125拜中岳銘(米草冠市)、126虹県詩(米草冠市)、127真□帖(米草冠市)、128淡墨秋山詩帖(米草冠市)、129章吉老墓表(米草冠市)、130紫金帖(米草冠市)、131寒光天啓二帖(米草冠市)、132蜀素帖(米草冠市)、133鶴林甘露帖(米草冠市)、134瀟湘奇観図後題(米友仁)、135大観聖作碑(趙佶)、136草書千字文(趙佶、137欲借風霜二詩帖(趙佶)、138掠水燕◯団扇(趙佶)、139◯芳依翠萼詩帖(趙佶)、140瑞鶴図跋(趙佶)、141真書千字文蔡行敕(趙佶)、141−1圜丘季享敕(趙佶)、142光明塔碑(趙構)、143池上疏烟団扇(趙構)、144草書洛神図(趙構)、145臨虞書真草千文(趙構)、146平生睡足団扇(趙◯)、147草書後赤壁賦(趙◯)、148節夫帖(蔡京)、149宮使帖(蔡京)、150跋鶺鴒頌(蔡京)、151四兄帖(蔡卞)、152楞厳経偈(蔡卞)、153曹娥碑(蔡卞)、154子通帖(蔡◯)、155集王書玉兔◯居詩刻(静万)、156習王書普済禅院碑(善儁)、157草書碑詩(彦修)、158集王書解州鹽池新堰箴、159集王書絳集重修夫子廟記(□跌望)、160又啓帖(劉正夫)、161又得潭州帖(張舜民)、162子安帖(呂公弼)、163比辰薄寒帖(王◯)、164開張天岸馬聯(陳摶)、165平江帖(王覿)、166仲冬帖(銭◯)、167先起居帖(陳暘)、168行芸当年帖(呉◯)、169観李氏譜牒焦山題名二帖(呉◯)、170与寿父札(呉◯)、171碎錦帖(呉◯)、172稟報帖(呉◯)、173游絲書草際帖(呉説)、174門内帖(呉説)、175門下帖(呉説)、176赴食帖(呉説)、177進職帖(呂嘉問)、178杜門帖(王昇)、179冷陶帖(王鞏)、180寵恵珍果帖(杜衍)、181奉手帖(胡沂)、182家兄帖(李商)、183欲出得告帖(薛紹彭)、184昨日帖(薛紹彭)、185跋懐素自序帖(曽紆)、186草履帖(曽紆)、187勤顧帖(杜良臣)、188紹興壬戌帖(秦檜)、189跋懐素自序帖(蒋◯)、190跋柳書蘭亭詩(黄伯思)、191上問帖(張即之)、192佛遺教経(張即之)、193杜甫二詩巻(張即之)、194汪氏報本庵記(張即之)、195適閑伏聞帖(張即之)、196◯酥沙魚帖(范成大)、197跋◯陽五老図(范成大)、198自書詩稿(陸游)、199題鶴銘(陸游)、200足軒銘(葛長庚)、201謝昌元座右辞(文天祥)、202題幽竹枯槎図(王庭◯)、203重修蜀先主廟碑(王庭◯)、204重修博州廟学記(王庭◯)、205黄華老人詩刻(王庭◯)、206霊泉観記(劉光)、207追和坡仙赤壁詞韻(趙秉文)、208劉从益恵政碑(趙秉文)、209重修中岳廟碑(◯史)、210篆書千字文(夢、211偏旁部首(夢、212夫子廟堂記(夢、213帰去来辞詩帖(蘇東坡

【元時代】

1跋趙臨蘭亭巻(王蒙)、2杜甫詩帖(王蒙)、3二月十六日詩帖(倪◯)、4跋黄山谷松風閣詩(馮子振)、5虹月楼詩(馮子振)、6臨急就章(文原)、7清居院記(文原)、8寿櫟堂詩(朱徳潤)、9跋陸柬之文賦(李◯)、10七言詩軸(張雨)、11題画詩巻(張雨)、12台仙閣記(張雨)、13跋祭◯文稿(張晏)、14題文与可画◯◯谷偃竹記(呉鎮)、15心経(呉鎮)、16離騒千字文合巻(呉叡)、17七姫権◯志(宋克)、18跋燕文貴秋山蕭寺図(陸広)、19◯之水詩(陸居仁)、20晩節堂詩(楊維)、21詩巻(楊維)、22真鏡庵募縁疏(楊維)、23寿帯硯銘(楊維)、24春暉堂記巻(欧陽玄)、25跋陸柬之書文賦(欧陽玄)、26義門王氏先塋碑(欧陽玄)、27上京宮詞(柯九思)、28臨定武蘭亭巻(命和)、29自書詩巻(命和)、30重刻漢桐柏淮源廟碑(呉炳)、31臨蘭亭序(趙孟頫)、32臨集王書聖教序、33心経(趙孟頫)、34陶潜飲酒詩(趙孟頫)、35雪賦(趙孟頫)、36汲黯伝(趙孟頫)、37玄妙観重修三門記(趙孟頫)、38湖州妙厳寺記(趙孟頫)、39帰田賦(趙孟頫)、40胆巴碑(趙孟頫)、41蘭亭十三跋(趙孟頫)、42遊天冠山詩(趙孟頫、43書為牟成甫告貸書(趙孟頫)、44高峰和尚行状巻(趙孟頫)、45続千字文巻(趙孟頫)、46跋陸柬之書文賦(趙孟頫)、47枯樹賦(趙孟頫)、48道統源流册(趙孟頫)、49道経生神章(趙孟頫)、50絶交書巻(趙孟頫)、51呉興賦(趙孟頫)、52六体千字文(趙孟頫)、53洛神賦(趙孟頫)、54仇鍔碑銘巻(趙孟頫)、55帰去来并序(趙孟頫)、56急就章(趙孟頫)、57蘇題烟江◯嶂図詩巻(趙孟頫)、58趙子昂硯銘(趙孟頫)、59孫公道行碑(趙孟頫)、60敕藏御服碑(趙孟頫)、61裕公和尚碑(趙孟頫)、62番君廟碑(趙孟頫)、63銭塘雑詩(袁易)、64和一庵首坐四詩帖(袁桷)、65賀得子詩(銭選)、66韓柳文巻(饒介)、67跋孝女曹娥碑(郭天錫)、68富春山居図款識(黄公望)、69宣城詩巻(◯◯)、70四禽言詩帖(郭◯)、71跋陸柬之書文賦(掲◯斯)、72臨智永真草千文(康里◯)、73秋夜感懐詩(康里◯)、74行宮詩(康里◯)、75李白古風(康里◯)、76梓人伝巻(康里◯)、77述筆法(康里◯)、78拜別頂相帖(管道昇)、79跋閻画白馬駄経図(福徳)、80王安石詩(鮮于枢)、81自書詩贊(鮮于枢)、82臨蘭亭序(鮮于枢)、83進学解(鮮于枢)、84論草書帖(鮮于枢)、85水簾洞詩(鮮于枢)、86跋祭◯文稿(鮮于枢)、87跋神龍蘭亭(鮮于枢)、88帰去来辞(鮮于枢)、89次韻仇仁父晩秋雑興(鮮于枢)、90李愿帰盤谷序(鮮于枢)、91游高亭山記(鮮于枢)、92趙孟頫合書千字文(鮮于枢)、93茅屋為秋風所破歌(鮮于枢)、94御史箴(鮮于枢)、95韓愈石鼓歌、96蘇軾海棠詩(鮮于枢)

【明時代】

1暑気帖(馬愈)、2会稽残雪詩扇(王問)、3跋宋拓黄庭堅(王世貞)、4昨見記(王世貞)、5象祠記(王守仁)、6叔訓帖(王◯)、7五言律詩(王寵)、8秋懐三首(王寵)、9輪曹娥諱辞(王寵)、10自作雑詩巻(王寵)、11琴操詩十首(王寵)、12游海珠詩扇(王寵)、13章君簡甫宿山◯夜雨詩(王寵)、14自書詩巻(王寵)、15西苑詩(王寵)、16王維詩(王鐸)、17為静原親翁書軸(王鐸)、7杜甫詩(王鐸)、8唐詩三首(王鐸)、9琅華館学古帖(王鐸)、10跋信行禅師碑(王鐸)、11薄游詩(王鐸)、18題呉仲圭漁父図巻(王穀祥)、19跋李龍眠蜀江図(王◯登)、20詩軸(王◯登)、21有感詩軸(倪元◯)、22昨歳帖(倪元◯)、23臨右軍養生論巻(豊坊)、24跋夏承碑(豊坊)、25唐人四人詩(豊道生)、26孤山観梅帖(豊道生)、27醉翁亭記(文徴明)、28漁父詞十二首、29致外舅書、30游虎丘詩、31蘭亭序(文徴明)、32心経(文徴明)、33雪賦月賦合册(文徴明)、34雑花詩(文徴明)、35四体千字文(文徴明)、36詩文合巻(文徴明)、37晴明帖(文徴明)、38四詩屏(文徴明)、39雲山書画扇(文徴明)、40赤壁賦(文徴明)、41臨蘭亭詩序册(文彭)、42采蓮曲(文彭)、43題謝時臣山水巻(文震孟)、44日暖風恬詩扇(米万鐘)、45題菊詩(米万鐘)、46移屋軸(許友)、47玉田帖(劉◯)、48孝行廉名詩軸(劉◯)、49種竹詩(李東陽)、50六月四日帖(李東陽)、51仲山帖(李應)、52独坐敬亭山詩(張瑞図)、53園□詩軸(張瑞図)、54龍象経行処詩(張瑞図)、55杜詩貧交行(張駿)、56千字文(張弼)、57鳳有高梧鶴有松詩(張弼)、58草書歌(張弼)、59杜工部□木為秋風所抜嘆巻(宋克)、60贈徐彦明詩帖(宋克)、61子昂蘭亭十三跋(宋克)、62急就章(宋克)、63跋陸柬之書文賦(宋濂)、64李白五言詩(宋広)、65画堂紅袖詩軸(宋広)、66不自棄説(沈度)、67敬◯箴(沈度)、68翁大参帖(沈度)、69千字文(沈粲)、70應制詩(沈粲)、71跋米草冠市蜀素帖(沈周)、72跋黄子久富春山居図(沈周)、73游張公洞并引(沈周)、74種竹詩(呉寛)、75東坡詞巻(呉寛)、76梦鼎堂記(呉承恩)、77風流弦管詩軸(何吾◯)、78題呉仲圭漁父図(辛敬)、79沈氏方寸楼記(危素)、80臨鵞群帖(◯◯)、81自書雑詩册(◯慈静)、82種◯麻詩(陳献章)、83雲隔溪扉詩(陳献章)、84行草書巻(陳献章)、85自書詩(陳献章)、86慈元寺碑残石(陳献章)、87游武陵詩(陳淳)、88白陽山詩(陳淳)、89墨花册題詩(陳淳)、90秋庭帖(陳淳)、91古詩十九詩(陳淳)、92◯◯◯蘭亭序(陳鑒)、93君家屏風詩軸(陳元素)、94自書詩(范允臨)、95咏画梅六首(陳継儒)、96陶詩(陳璧)、97不向東山詩扇(陳嘉燧)、97−1詩題張士伯画扇(陳継儒)、98自題墨蘭(周天球)、99題周官索綯図(周天球)、100助造帖(周天球)、101明六止居士周公瑕所集六家細楷并画像巻(周天球)、102上林冬暖詩(朱基)、103臨麻姑仙壇記(陸師道)、104自書詩巻(邵宝)、105跋懐素苦笋帖(項元◯)、106跋蘇軾答謝民師論文帖(婁堅)、107自作咏物詩册(姚綬)、108呉門避暑詩軸(唐寅)、109漫興一律(唐寅)、110若容帖(唐寅)、111落花詩册(唐寅)、112育◯記(祝允明)、113杜甫詩軸(祝允明)、114前後赤壁賦(祝允明)、115釣賦(祝允明)、116六体詩賦(祝允明)、117自書詩五首(祝允明)、118唐詩五首(祝允明)、119杜甫諸将五首(祝允明)、120米元章論書(祝允明)、121自書詩帖(祝允明)、122在山記(祝允明)、123臨黄庭堅(祝允明)、124叙字帖(祝允明)、125草書詩稿(祝允明)、126唐詩四首(海瑞)、127致豫所呂老先生書(海瑞)、128二八年時不憂度詩(徐渭)、129青天歌(徐渭)、130自書詩巻(徐渭)、131女芙館十咏(徐渭)、132煩求帖(聶大年)、133滕王閣序(銭博)、140六詩册(黄道周)、141倚鋤有作詩軸(黄道周)、142和謝南仲詩(黄道周)、143虞夏師前業詩(黄道周)、144富春舟中書札(黄道周)、145自書詩帖(黄道周)、146榕壇問業(黄道周)、147明鏡山水詩軸(蕭永言)、148送李小山帰蓬莱詩(戚継光)、149昭余□廷◯記(傅山)、150題墨竹詩(傅山)、150−1除夜詩(傅山)、151洛神賦(彭年)、152山凉微見月詩扇(董其昌)、153叢竹歌(董其昌)、154金粟詩軸(董其昌)、155月賦(董其昌)、156昼錦堂記(董其昌)、157赤壁賦(董其昌)、158弥陀経册(董其昌)、159自題書画册(董其昌)、160跋黄子久富春山居図(董其昌)、161臨宋四家書(董其昌)、162草訣百韻歌(韓道享)、163江岸芙蓉詩軸(湛若水)、164杜甫詩軸(景鳳)、165跋燕文貴蕭寺図(鮑恂)、166自題◯古山水(藍瑛)、167跋唐人草書月儀帖(解縉)、168自書詩巻(解縉)、169書説(蔡羽)、170白玉河辺詩編(蔡羽)、171湘君湘夫人(蔡羽)

【清時代】

1為星若書詩(万経)、2自題◯古山水册(王鑒)、3□江月詞(王文治)、4査氏墓誌稿(王文治)、5跋唐人書月儀帖(王文治)、6跋李秀碑(王文治)、【7〜11王鐸は明時代】12自題詩画册(王学浩)、13自題◯宋元山水画册(王原祁)、14題寿平山水画册(王◯)、15千字文(王◯)、16題寿平山水册(毛岳生)、17説文解字序(廷)、18五言聯(左宗棠)、19四贊屏(石如)、20顔氏家訓(石如)、21焚香看書册(石如)、22詩経南◯(石如)、23張子西銘(石如)、24前乗秦嶺八屏条(石如)、25滄海聯(石如)、26臨王略帖(包世臣)、27臨◯鶴銘(弘歴)、28臨河序(朱◯)、29客自短長亭詩(朱◯)、30臨索靖月儀帖(朱◯)、31題自画山水(朱◯)、32心経(朱◯)、33大学(劉◯)、34蘇詩(劉◯)、35七言詩(劉◯)、36跋泰山経石峪残拓(劉◯)、37跋天衣禅師碑(劉◯)、38陋室銘(孫星衍)、39跋陸柬之書文賦(孫承澤)、40臨樊毅碑(伊秉綬)、41題道済山水巻(伊秉綬)、42跋化度寺碑(伊秉綬)、43題王元章画梅(伊秉綬)、45自書詩册(伊秉綬)、44五言絶句(米漢◯)、46論蘭亭序(李文田)、47北魏書軸(李瑞清)、48題王◯栽竹図(李宗翰)、49題王原祁山水画册(李◯)、50題王◯栽竹図(李世倬)、51題道済紀游図咏册(張穆)、52瀛洲徐君墓誌銘并序(張廷済)、53秋日泛舟西海詩(張照)、54溪泉詩(張燕昌)、55司空図詩品(張允良)、56題黄向堅万里尋親図册(張◯)、57題呉允楷花卉册(呉大澂)、58自題山水册(呉山濤)、59題王時敏山水册(呉偉業)、60題黄道周画松(呉栄光)、61三楽三憂帖(呉照載)、62宋武帝与臧敕(呉照載)、63呉均与朱元思書屏(呉照載)、64鑒湖女侠秋君墓表(呉芝瑛)、65屈大均墓碑(呉道鎔)、66蘭亭序(何紹基)、67臨黄庭堅(何紹基)、68臨張遷碑(何紹基)、69題巨然海野図(何紹基)、70黄孝子伝(何紹基)、71朱欄画柱四屏条(何紹基)、72題道済紀游図咏册(何紹基)、73題道済山水册(何紹基)、74東坡羹(何紹基)、75題黄道周書牘詩(沈曽植)、76春夜宴桃李園序(沈◯)、77題王原祁◯古山水(沈宗敬)、78題奚岡留春小舫図(阮元)、79十三銀鑿落歌(汪士慎)、80洛神賦(汪士)、81題張瑞図十八應真册(陸恢)、82寒花耻自栄詩(楊法)、83説文解字序(楊沂孫)、84跋張瑞図十八應真册(楊守敬)、85◯◯詩(周亮工)、86右軍帖聯(林則徐)、87臨蜀素帖(林則徐)、88懐遠詩(担当)、89法家言(陳潮)、90孫夫人墓誌銘(陳鴻寿)、91寿樊昆吾詩軸(陳◯)、92題寿平王概合册(英和)、93寄汪士詩巻(屈大均)、94王秀帖(金農)、95周礼(金農)、96右軍七言聯(趙之謙)、97劉昭注補続漢書八志序(趙之謙)、98行書軸(趙之謙)、99心成頌(趙之謙)、100芸文類聚(趙之謙)、101城隍廟碑(鄭燮)、102道情詞十首(鄭燮)、103七絶十五首(鄭燮)、104板橋潤格(鄭燮)、105浣溪紗詞(鄭◯)、106朱熹◯居詩(鄭◯)、107韋荘対酒詩(鄭◯)、108自題山水画册(寿平)、109臨枯樹賦(寿平)、110柴桑詩(姜宸英)、111題項易庵画梅册(査昇)、112自題山水册(柳◯)、113題金陵古迹册(胡玉昆)、114輔主匡君扇(兪◯)、115臨寒食帖(査士標)、116臨古帖(姜淑◯)、117題王学浩□水聯吟図(鉄保)、118題秋庵詩牌十二図序(翁方綱)、119題徐渭墨筆花卉巻(翁方綱)、120題黄道周画松巻(翁方綱)、121自題人物山水册(翁同◯)、121−1題沈石田張公洞図(翁同◯)、122定風碑墨拓記(梁同書)、123題王時敏山水册(梁清標)、124七命中語(銭◯)、125篆書軸(銭◯)、126立幅(銭◯)、127題呉偉業西湖図巻并序(銭謙益)、128隆師親友軸(銭◯)、129臨鹿脯(銭◯)、130跋李龍眠蜀江図(高士奇)、131董思翁跋語(奚岡)、132自題詩画册(奚岡)、133尉看梅詩(袁枚)、134題張◯山水册(高◯)、135帰雲集詩稿(高鳳翰)、136◯康師心帖(桂馥)、137一从帖(黄慎)、138草亭詩(黄慎)、139春夜宴桃李園序(黄慎)、140送汪瞻侯帰姑蘇詩(黄慎)、141春帰帖(黄慎)、142臨楊太尉碑(黄易)、143臨圉令趙君碑(黄易)、144題寿平山水册(郭□)、145題自画山水(◯賢)、14−1自題山水画册(◯賢)、146漁歌子(◯賢)、147跋煮石山農画梅(達受)、148丹楓閣記(傅山)、149題山水册(◯残)、150自題◯宋刻絲衆爵斉鳴図(道済)、151題張瑞図十八應真册(蒲華)、152題寿平山水册(彭兆◯)、153重建元君古廟碑記(黎簡)、154□雲聯(黎簡)、155自題為何子貞画山水(戴煕)、156題自画山水册(戴煕)、157関中八景図(武林)、158関中八景図条屏(武林)、159松鶴図(朱集義)、160香節図(賈玄)、161春蘭図(任廷貴)、16

NO.1 西安拓本王さんの書斎

 

NO.2 西安拓本王さんのペット

 

NO.3 西安拓本王さんの趣 相撲、ボクシング

 

NO.4 西安拓本王さんの灰皿

 

NO.4-1 西安拓本王さんの灰皿

 

NO.5-1 西安拓本王さんのペット、いのしし

 

NO.6 西安拓本王さんの収蔵物

 

NO.7 西安拓本王さんの収蔵もの

 

NO.8 西安拓本王さんの収蔵物、

 

NO.9 西安拓本王さんの収蔵物 漢代陶釜

 

NO.10 西安拓本王さんの収蔵物 唐代の墓誌銘

 

NO.11 北魏の墓誌銘

 

NO.12 北魏の墓誌銘 高祖九嬪趙元華

 

NO.13 北魏時代の貴華恭夫人墓誌銘

 

NO.14 北魏の墓誌銘 高祖九嬪趙元華

 

NO.15 北魏時代の楊君墓誌銘

 

NO.16 前秦時代の呂他墓表日本の書道博物館に保存されているのは呂憲墓表です。

 

NO.17 北魏時代の残石墓誌銘

 

NO.18 北魏時代の王夫人墓誌銘

 

NO.19 西晋菅氏夫人墓碑

 

NO.20 唐代の墓誌銘

 

NO.21 北魏時代の笱君墓誌銘

 

NO.22 北魏時代の元乾墓誌銘

 

NO.23 北魏時代の残石墓誌銘

 

NO.24 北魏時代の楊君墓誌銘

 

NO.25 北魏時代の高祖九嬪趙元華墓誌銘

 

NO.26 北魏時代の貴華恭夫人墓誌銘

 

NO.27 北魏時代の周公墓誌銘

 

NO.28 北魏時代の幼妃墓誌銘

 

NO.29 北魏時代の段公墓誌銘

 

NO.30 北魏時代の元譚妻司馬氏墓誌銘

 

NO.31 北魏時代の元鑒墓誌銘

 

NO.32北魏時代の穆氏墓誌銘

 

NO.33 北魏時代の高平墓誌銘

 

NO.34 北魏時代の元鑒墓誌銘

 

NO.35 北魏時代の廣川孝王墓誌銘

 

NO.36 北魏時代の仇臣生三寶造像碑

 

NO.37 北魏時代の穆亮墓誌銘

 

NO.38 北魏時代の南安王元墓誌銘

 

NO.39 唐代の景雲鐘鐘銘(唐睿宗李旦直筆)

 

NO.40 唐代の景雲鐘鐘銘(唐睿宗李旦直筆)

 

NO.41 北魏時代の伯昇墓誌銘

 

NO.42 北魏時代の残石碑墓誌銘

 

NO.43 北魏時代の元引墓誌銘

 

NO.44 北魏時代の元景墓誌銘

 

NO.45 北魏時代の于夫人墓誌銘

 

NO.46 北魏時代の元宗正夫人司馬氏墓誌銘

 

NO.47 北魏時代の楊公墓誌銘

 

NO.48 北魏時代の元瞻墓誌銘

 

NO.49 北魏時代の公孫騎墓誌銘

 

NO.50 北魏時代の光嬪廬氏墓誌銘

 

NO.51 北魏時代の昝氏墓誌銘

 

NO.52 北魏時代の元暉墓誌銘

 

NO.53

 

NO.54

 

NO.55

 

NO.56 北魏時代の王妃穆氏墓誌銘

 

NO.57

 

NO.58

 

NO.59

 

NO.60

 

NO.61漢代の煉瓦

 

NO.62

 

NO.63

 

NO.64

 

NO.65 北魏時代の元lian妻穆夫人墓誌銘

 

NO.66

 

NO.67

 

NO.68

 

NO.69

 

NO.70 秦代のエキザン刻石の裏面

 

NO.71 秦代のエキザン刻石の正面

 

NO.72 東晋時代の司馬芳残碑正面

 

NO.73 東晋時代の司馬芳残碑

 

NO.74 漢代の唐公房残碑

 

NO.75 唐代の同州三蔵聖教序(唐ちょ遂良直筆)

 

NO.76 唐代の同州三蔵聖教序(唐ちょ遂良直筆)碑頭

 

NO.77 唐代の廣智三蔵和尚碑(不空和尚碑)

 

NO.78 北魏時代の造像碑

 

NO.79 王義之の残石碑(唐集)

 

NO.80 北魏時代の造像碑

 

NO.81 北魏時代の造像碑(騎馬人)正面

 

NO.82 北魏時代の造像碑(裏面)

 

NO.83 北魏時代の()造像碑側面

 

NO.84 北魏時代の()造像碑裏面

 

NO.85 北魏時代の()造像碑正面

 

NO.86 北魏時代の大代正光二年造像碑(側面)

 

NO.87 北魏時代の大代正光二年造像碑(正面)

 

NO.88 北魏時代の大代正光二年造像碑(裏面)

 

NO.89 北魏時代の建崇寺造像碑

 

NO.90 北魏時代の皇興造像碑

 

NO.91 北魏時代の造像碑

 

NO.92 漢代の画像石

 

NO.93 台座

 

NO.94 漢代の画像石

 

NO.95 漢代の画像石

 

NO.96 漢代の画像石

 

NO.97 漢代の画像石

 

NO.98 漢代の画像石(狩り図)

 

NO.99 漢代の画像石

 

NO.100 漢代の画像石

 

NO.101 漢代の画像石

 

NO.102 漢代の画像石

 

NO.103 漢代の画像石

 

NO.104 唐代顔真卿の争座位稿

 

NO.105 唐代の興福寺残碑

 

NO.106 唐代の招仁寺碑(虞世南直筆)

 

NO.107 唐代の招仁寺碑(虞世南直筆)

 

NO.108 唐代の玄秘塔碑(柳公権直筆)

 

NO.109 北魏時代の臨潼造像碑(正面)

 

NO.110 北魏時代の臨潼造像碑(裏面)

 

NO.111 唐代の懷任集晋王義之聖教序

 

NO.112 唐代の多寶塔感応碑(顔真卿直筆)

 

NO.113 唐代の皇甫誕碑(歐陽詢直筆)

 

NO.114 漢代の曹全碑

 

NO.115 唐代の温彦博碑(歐陽詢直筆)

 

NO.116 唐代の御史台精舎碑

 

NO.117 漢代の熹平石経(周易)

 

NO.118 西魏時代の吉賢碑(裏面)

 

NO.119 西魏時代の吉賢碑(正面)

 

NO.120 唐代の大秦景教流行中国碑

 

NO.121 唐代の尚書(日本の平成年号と昭和年号がこちから来たそう)

 

NO.122 唐代の尚書(日本の平成年号と昭和年号がこちから来たそう)

 

NO.123 隋代の宇文述墓誌銘(初公開)

 

NO.124 隋代の宇文述墓誌銘(初公開)の蓋

 

NO.125

 

NO.126 北魏時代の張猛龍(明代重刻)

 

NO.127 北魏時代の魏顕道側面

 

NO.128 北魏時代の魏顕道正面

 

NO.129 北魏時代の魏顕道裏面

 

NO.130 造像碑

 

NO.131 前秦廣武将軍(正面)

 

NO.132 前秦廣武将軍(裏面)

 

NO.133 前秦廣武将軍(側面)

 

NO.134 唐代の三墳記(正面)

 

NO.135 唐代の三墳記(裏面)

 

NO.136 宋代の徳応霞碑(宋代耀州窯の陶器加工過程、プロセス)

 

NO.137 鯉が龍門に登り

 

NO.138 隋代の尼那提

 

NO.139 北魏時代の元lian墓誌銘

 

NO.140

 

NO.141 台座

 

NO.142 唐代懐素東陵聖母帖

 

NO.143 台座(北周大象二年)

 

NO.144 姚弁墓誌銘(隋大業七年)

 

NO.145 唐代の懐素千字文

 

NO.146 唐代の懐素千字文

 

NO.147 唐代の懐素千字文

 

NO.148 北周张妙生

 

NO.149 唐代の迴元観鐘楼銘(柳公権直筆)

 

NO.150 北周台座

 

NO.151 漢画像石

 

NO.152 漢画像石(雑技)

 

NO.153 漢代の画像石

 

NO.154 漢代の画像石

 

NO.155 台座

 

NO.156

 

NO.157

 

NO.158

 

NO.159

 

NO.160 北周の台座

 

NO.161 漢代の画像石

 

NO.162 漢代の画像石

 

NO.163 秦代の煉瓦拓本(実物は咸陽博物館にて公開されいる)

 

NO.164 漢代の画像石

 

NO.165 漢代の画像石

 

NO.166 漢代の画像石

 

NO.167 漢代の画像石

 

NO.168 漢代の画像石

 

NO.169 漢代の画像石

 

NO.170 漢代の画像石

 

NO.171 北周時代の台座

 

NO.172 北魏時代の台座

 

NO.173 北魏時代の台座

 

NO.174 北魏時代の台座

 

NO.175 北周の台座

 

NO.176 前秦時代の廣武将軍碑

 

NO.177 明仁天皇と皇后美智子の直筆1992年、明仁天皇と美智子皇后は中国訪問際、残した二人のサインです、後、政府が石碑に作られました。

 

NO.178 唐代趙氏墓誌銘

 

NO.179 龍門二十品−1(清代重刻)

 

NO.180 龍門二十品−2(清代重刻)

 

NO.181 龍門二十品-3

 

NO.182 龍門二十品−4

 

NO.183 龍門二十品−5

 

NO.184 龍門二十品−6

 

NO.185 龍門二十品−7(清代重刻)

 

NO.186 龍門二十品−8(清代重刻)

 

NO.187 龍門二十品−9(清代重刻)

 

NO.188 龍門二十品−10(清代重刻)

 

NO.189 龍門二十品−11(清代重刻)

 

NO.190 龍門二十品−12(清代重刻)

 

NO.191 龍門二十品−13(清代重刻)

 

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NO.194 龍門二十品−16(清代重刻)

 

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NO.198 龍門二十品−20(清代重刻)

 

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NO.200 龍門二十品−22(清代重刻)

 

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NO.204 唐代墓誌銘

 

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友情リング

『西安碑林博物館』

 中国・西安碑林博物館の所蔵品を拓本で紹介します。

 

西安碑林博物館」に所蔵の石碑の拓本を9点展示しています。 拓本とは、石や木に刻まれた文字や模様を墨を使って紙に写したものです。「西安碑林博物館」は、中国の四つの碑林博物館の中でも、最大の所蔵を誇る博物館で、各地に立っていた石碑を集めたことから、「碑林」という名前がついたと言われています。